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安かれ!



ひとしずく(牧師コラム)

林 茂宏牧師    2020.4.12

≪安かれ!≫


 ヨハネ20:19‐29

 弟子たちは、主イエスを、失ってどうしたらいいか分からないほど心を痛め、狼狽(ろうばい)したであろうが、復活の主は現れて「安かれ」と言われる。思い返せば、2020年の新年礼拝において、次のようなことを語らせていただいたのである。


「私たちが生きていくこれからの時代は、神さまの秩序を脅かし、破壊しようとする混沌(カオス)とした大波が打ち寄せてきますが、この力に打ち勝つのは、他でもなく主イエスであるのです。主イエスは私たちの恐れと不安を解かれ、この混沌とした状況に「愛」と「いのち」に溢れる新しい創造の世界に導いてくださるのです。」


まさか、あのメッセージから一瞬の内に、世界中の国々が今日までいまだに出口が見えず、新型コロナウィルス(武漢肺炎)の渦の中で、もがき苦しんでいるとは・・・。不安と恐れの最中にある時こそ、聖書に耳を傾けて慰めをいただきたいです。


 一週の初めの日に、主イエスの死体を引き取りに墓にやって来たマグダラのマリヤは、墓の外に立って泣いていた(11節)。しかし、墓の中を覗くと、主イエスはいなかった。「誰かが私の主を取り去りました。そしてどこに置いたのか分からないのです。」そう言って、マリヤがうしろを振り向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。マリヤもトマスのように、十字架の傷跡を負ったまま復活されるイエスを信じることができなかった。<マリヤが後ろを振り向く>の、この「うしろ」に目を止めたいのです。私たちの「うしろ」とは、ある意味で、見えぬが故の恐れや不安を表わす状況ではないでしょうか。「そこによみがえられた主イエスが立っておられるのです。」今、世界中が、いえ、私たちが住むこの国においてさえも、出口が見えない新型コロナウィルス感染の渦の中で、恐れと不安に泣くしかないような事態のこの真ん中に、復活の主が立っておられるのだということを、マリヤのように気がつかなかったのではないでしょうか。しかし、憐み深い主は、悲しみに泣くしかないマリヤに、「マリヤよ!」と声をかけられたのです。マリヤは振り返ってイエスに向かってヘブル語で「ラボニ(先生)」と言った。マリヤは主イエスを見て、ほかの弟子たちに伝えに行った。やがて弟子たちは主を見て喜んだ(20節)。


 皆さん、恐れと不安に包まれるところに、このよみがえられた主は立っておられるのです。この主イエスに目を注ごうではありませんか。

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